庄内の釣り●Volume 09 庄内竿と庄内釣法/有馬駿作

今や〜釣りも"テクノロジーの時代"を迎えたといってていいだろう。道具に新素材が使われるようになって久しい。釣り竿一つをとっても昔ながらの竹竿よりもグラスファイバーやカーボン製のものが主流である。たくさん釣ることが釣りの最大の目的であるとすれば、今後もより釣れる道具を目指しての商品開発が進められていくことだろう。
しかし、ここに釣りが単なる趣味ではなく、式芸の一つとして行われていたケースがある。釣りを魚との”真剣勝負”として捉え、いわば”釣道”とでもよぶべき所まで高められていた。日本人大好きの精神論を持ち出すわけではないが、現代の釣りとは一線を画するこの釣りは、今の釣り人たちの目にはどのように映るのだろう。

庄内地方と釣り

日本の各地には、今も伝統的な和竿作りの芸が残っている。山形の庄内竿、東京の江戸和竿、石川県の加賀竿、高知県のギリ竿などは有名であろう。中でも庄内竿はその独特の使い味によって、全国的にファンが多い。その発祥の地である鶴岡市は、米どころとして知られる庄内平野に位置し、”海にも山にも近い”風光明媚なところである。そして、この地域の人たちの釣り好きは半端ではない。ちょっと磯へ出てみれば、いつでも必ず釣り竿を持った”太公望たち”にお目にかかれるのだ。それもそのはず、この地域では小中学校の課外授業に”釣り”が取り入れられているのだそうだ。そして毎年企業や自治体主催の各種の釣り大会が幾つも開かれている。もちろんそれよりもっと小さいときに、親から釣りの味を教え込まれる子もいるだろうし、毎年毎年新しい”太公望予備軍”ができあがっているのである。
庄内地方の釣りの歴史というのは江戸持代に遡る。戦乱の時代が終わり、徳川の治世になって天下太平が長く続くと、当然ながら戦のための訓練などは有名無実化してくる。
”もののふの道”など遠い昔になりにけりといったところだろうか。そんな現状を嘆いた藩主が、武士たちの士気を高めるための手段として剣の変わりに竿を選んだのである。
そして、思惑通りにつりはこの地方に広まり、独特の形で発展していった。

庄内竿と庄内釣法

庄内には他の地方の和竿には見られない特徴がいくつかある。第一は、この地方特産の「若竹」を使っていること。しかも材料は吟味に吟味を重ね、100本竹があったら、竿としてそのまま使えるのは2本ぐらいだという。そうやって選びに選ばれた竿は延竿(一本竿)にするのが基本とされる。もちろん継ぎ竿作られるが、本当の庄内竿はあくまで延べ竿なのだ。そして、他の和竿は皮をとって糸を巻き、漆を塗って仕上げられるのに対して、庄内竿は塗りを掛けない。時間を掛けて何度も何度も燻して仕上げるのである。
これらを聞けば、一本の竿が出来上がるまでに4、5年かかるというのも納得できる気がする。
じづくりと手間を掛けるが、あくまでも竹本来の性質を生かした竿作り。これが庄内竿の一番の特徴なのである。そして、この竿を使った釣法もまた独特である。ウキを使わないフカセ釣り。しかも竿には余計な加工を一切施していないから、竿を伝わって、魚のアタリをダイレクトに感じることができる。そこにこの釣法の醍醐味があり、まさに魚との”勝負”と呼ぶのに相応しい。

伝統の火を消さないために

このように作る側のこだわりによって守られてきた庄内竿であるが、現在純粋に”竿作り職人”とよべる人はいなくなってしまったという。わずかに昔の職人が仕事の合目に作ったり、趣味程度に”庄肉竿もどき”を作る釣り人がいるだけである。
一本作るのにかかる膨大な時間と手間を考えれば、確かに今の世の中でこれを仕事として生活していくのは難しいだろう。
そこら辺の事情は他の伝統工芸と同じである。機械化や大量生産が効かないことと後継者がいないという悪循環の中で”伝統の火”はゆっくりとしかし確実に消えていこうとしている。今のところ行政の方で、具体的な保護のための対策がなされるという動きはない。あとは地元の有識者の方たちの動向にかかっているというのが現状だ。
古いものは歴史の中に埋もれ、記録として残っていくだけ・・・・というのでは寂しすぎる。長い時間と、大勢の人たちの知恵と努力によって育まれてきた伝統の技を”過去の遺物”にしてしまうか、貴重な財源として後世の人たちに伝えていくは今を生きる人たちにかかっている。そして、庄内竿のような伝統的な釣りを守っていくのは、釣りを愛する全ての人たちの役目だと思うのである。